インドネシアを支えているのはインドネシア人じゃない?いや、インドネシア人です。【日本語パートナーズ】
僕はインドネシアの東ジャワ州にあるスラバヤという街で活動しています。
平日、学校がある日は、先生や生徒たちとインドネシアのローカルな生活をしています。食堂やWarungというお店で100円くらいの食事でお腹を膨らませています。100円の食事が本当に美味しい!!最高な国です。
土日はイベントがない限り休日なんですが、だいたいスタバにこもって何かしています。先週スタバカードを作りました。インドネシアでしか使えないらしい、、
僕がいつも飲むのはアイスカフェラテのグランデサイズで、49,000ルピア(400円くらい)です。日本に比べてどうかわかりませんが、wi-fi等の環境を含めると安いです。
ですが、インドネシア人からするとかなり高いんです。
先ほどのローカルなお店でアイスティーを飲もうとしたら5,000ルピアくらいです。50円しません。
スタバの10分の1くらいの値段で同じくらいの量が飲めるので、インドネシア人はスタバを選びません。スラバヤにはいくつかスタバがあるのですが、多くのお客さんが中華系と呼ばれるインドネシア人です。どう言い分けしているのか詳しくはわかりませんが、顔が中国人っぽかったりするとそう呼ばれるんだと思います。
スタバで飲んでいるのは中華系インドネシア人か旅行客くらい。インドネシア人もたまにいますが、服装が高そうな人だらけです。
逆にいうと、ローカルなお店で中華系インドネシア人を見ることはあまりありません。
それくらい中華系インドネシア人とインドネシア人のいくお店は分かれていて、値段が全く違います。
スラバヤはインドネシア第2の都市と言われるほどの街で、たくさんの企業が入っています。そして、それらの企業は中華系インドネシア人たちによって動いています。
企業やスタバが入るような大きなモールがある地域には中華系インドネシア人の豪邸がたくさんあります。
地域やお店や習慣など…同じインドネシア人なのに2つに分かれている感じがします。
もちろん、これが悪いわけではありません。お互いに何かがあるわけでもないし、経済的な意味でも支え合って生きています。
ただ、インドネシア人ってどういう人なの?という疑問があります。中華系インドネシア人たちをインドネシア人だと認めていない人も中にはいます。でも、同じ国で生まれて育っている人たちを違う者扱いしてしまうのはとても悲しいです。
日本でも似たような光景があるんですよね。ハーフや日本人っぽくない顔立ちをした人を日本人扱いしない人が日本には多いです。ですが、彼らは日本で生まれ日本で育っているわけで、僕らとなんら変わりないんです。同じ日本人なんです。
今回の発見で、インドネシア人ってなんなんだろう。日本人ってなんなんだろう。
こんな違和感が生まれました。八村塁選手や大坂なおみ選手を日本人扱いしない人たちがいることに対する違和感と同じようなものです。
どこで分かれるのかが明確になっていないことなので難しいです。個人の感覚に左右されてしまうので、すぐに変わることは難しいと思いますが、一人でも多くの人がもっと柔軟に考えられるようになることを祈るばかりです。
インドネシア生活も残り1ヶ月。振り返りから出たこれからの動き方は「日本語を学びたいのに学べていない生徒」へのアプローチ【日本語パートナーズ】
9月に始まったインドネシア生活も残り1ヶ月です。
ここまで来ることは、一人では到底できなかったことで、日々支えてくれている人たちへの感謝でいっぱいです。
この日本語パートナーズというのは高校の日本語教師のサポートという立場なので、当然、協力が必須です。5ヶ月が経ってすっかり当たり前のように授業をしているのですが、それも残り1ヶ月です。
先週、振り返りワークショップというものがあり、これまでの活動を振り返るとともに、これからのことについても、仲間たちと話し合いました。
20歳から63歳までが参加しているインドネシア12期には、当然ながら、一人一人に様々な背景や想いがあり、そこから出てくるアイデアや反省も様々なものでした。
せっかくなので、今回はここに、僕の想いと意気込みを残しておきたいと思います。
「日本語を学びたいのに学べていない生徒」へのアプローチ
大きく変わったのが日本語教育に対する考え方。
インドネシアに来るまでは、曖昧な形で「日本語教育に関われたらいいなぁ」と考えていました。日本語を学びたい人がいて、日本語を教える人がいる。この形が日本語教育だと思っていました。
でも、インドネシアの日本語教育は全く違って、こちらの高校生たちには日本語を学ぶかどうかを選ぶ権利がありません。学校側が日本語の授業を入れるかどうかを決めます。
つまり、「日本語を学びたい人がいて、日本語を教える人がいる」の構図ではないんです。
「日本語を学びたい生徒」はいますが、多くの子が「日本語を望んでいない生徒」です。実は、インドネシアは日本語学習者が世界で中国に次いで2位の国です。ですが、全員が望んでいるわけではいない。
さらに、学校側が日本語の授業を入れるかどうかを決めるということは、日本語を学びたい生徒がいても、学校に日本語の授業がない学校もあります。途中で日本語の授業が廃止になった学校もあるみたいです。「日本語を学びたいのに学べていない生徒」も多くいるわけです。
僕は、この「日本語を学びたいのに学べていない生徒」に狙いを絞ってこれから活動をしていきたい!と考えています。
日本語パートナーズはインドネシアの日本語の授業がある学校の全てに派遣されているわけではありません。派遣できる人数にも限りがあるし、日本を普及させるためにも様々な学校に派遣されています。
去年までは日本語パートナーズがいたのに今年はいない、そんな学校もあります。そういった学校の生徒たちからインスタでフォローされる事が多いです。「来年は日本語パートナーズは私の学校に来ますか?」などの質問もよくもらいます。
日本語パートナーズ以外にも様々なプログラムがありますが、それらではカバーできないくらい日本語学習者は多くなっているので、僕はこの1ヶ月で一人でも多くの「日本語を学びたいのに学べていない生徒」との繋がりを作って、必ず、日本を届けます。
インドネシアには教科書を持つ経済力がない家庭の生徒がたくさんいます。僕の派遣校の生徒は全員教科書を持っていません。なので自習ができないんです。でも、みんな携帯は持っていて、Youtubeは見ているので、どうにかそこから日本を届けたいなと思っています。
すでにYoutubeで活動している方はたくさんいますが、やはり個性は違うので、試行錯誤しながらやっていきます。
今を生きること。貧困とは。インドネシアで感じたこと【日本語パートナーズ】
インドネシアに来る前の研修で、インドネシアに関する情報をひたすらに入れました。
人口世界4位、日本語学習者数世界2位、人口のほとんどがイスラム教徒などなど…
日本より病気が多かったり、物価がとても低かったり、スリなどの犯罪が多かったりなど、良くない情報が多いなぁと思いながらイメージしたインドネシアはとてもじゃないけど良いものではなくて、「日本と同じような生活はできないだろうし、常に身の回りに注意しなきゃな…」と思いながらインドネシアに来ました。
あれから5ヶ月が経って、インドネシアでの生活も残り1ヶ月となりました。早すぎる!!
5ヶ月経ってからの印象は、「本当にいい国だし、日本より幸せなんじゃない?」というものです。
世の中にはいろんな人がジャンル分けされていて、その中でも富裕層・貧困層というものが大きな問題になっています。相対的貧困や絶対的貧困など、貧困の中にも色々あるみたいですが、そこはよく分からないので無視します。
インドネシアには2億人以上いる大国なので、もちろん富裕層と貧困層が存在します。
(真ん中くらいのレベルの)田舎に派遣されるとわかっていたので、きっと貧困層と呼ばれる人たちが暮らしているところなんだろうと勝手に想像していました。
6ヶ月も海外で生活するのは初めてだし、1ヶ月生活したことのあるニュージーランドのホストはしっかりお金持ちだったので、かなりの覚悟をしていました。
貧困っていうのは十分に生活できるお金を持てていない状態のことを言うんだろうと思っていました。
だけど、こっちに来て貧困の捉え方がひっくり返りました。
インドネシアの人たちはみんな本当に笑顔であふれていて、他人に優しくて、最高です。何より、生活に不満を持っている人を見たことがありません。
日本だとどうでしょう?僕の周りでは、生活に不満を持っている人が多いです。「もっとお金を稼がなきゃ」「もっといい家に住みたい」もっと…もっと…であふれています。
近所の路地に入ったところにある住宅地の家は、壁か屋根が壊れていて、地震でも来ようものなら一瞬で倒壊してしまいそうなものばかりです。ハエや蚊が飛び回っていて、綺麗なご飯を食べているところを見たことがありません。道で座っている少年はよく分からない色の飲み物を飲んでいます。
信じられない光景が普通に繰り広げられていて、そこを歩くのすら躊躇うほどです。
きっと日本人なら、「あり得ない」「辛すぎる」「かわいそう」というでしょう。(あくまで想像です)
ですが、その地域は活気であふれていて、笑い声が飛び交っていて、そこにあるのは「幸せな空間」です。
貧困っていうのはお金なのか?生きるってなんなのか?
もう一度考えるきっかけを与えてもらいました。
CP(担当している学校の日本語教師)にムスリムの考え方について聞いたことがあります。
彼らは朝起きてからお祈りをします。「今日もありがとうございます。周りの人たちが今日も幸せでありますように。」など、その日を迎えられたことを神様に感謝するそうです。そして1日の終わりには、「今日を幸せに生きられました。明日も幸せに生きられますように。」とお祈りするそうです。
今日という日に感謝をして1日を始め、今日を振り返って感謝をして1日を終える。
彼らにも、もちろん欲はあると思います。ですが、僕との決定的な違いは「今を生きているか」でした。
明日は、1年後は、5年後はと常に考えていて、今日も明日も当然のようにやってくると思い込みながら生活している自分に気づき、ハッとさせられました。
収入が低く技術も足りないため、先進国のような暮らしはできません。デモやテロもあるため、いつ命を奪われるかもわかりません。ですが、だからこそ、その日を一生懸命に生きないといけないし、一つ一つのことに目がいき、感謝することができます。
彼らはそうすることで日々に喜びを感じ、日本人よりもはるかに幸せな1日を送っています。
本当に貧困な人は自分なんだなと思い知らされました。
僕はこの5ヶ月で、とてつもなく大きなものを得ました。
残り1ヶ月、「今日を必死に生きる」ことをテーマにして生きていきます。
インドネシアの日本語授業は選ぶことができない【日本語パートナーズ】
あけましておめでとうございます。
約1ヶ月ほど空いてしまいましたが、体調を崩しつつも元気にやっています!
インドネシアの高校は1/2から学校が始まるという衝撃から始まり、2週間が経ちました。
久しぶりの学校は相変わらず楽しいし、生徒たちもたくさん声をかけてくれるので、モチベーションもガンガン。
今日は、インドネシアの生徒たちが日本語授業を選ぶ権利を持っていないことについてお話します。
ぼくの派遣校は2つあって、合計すると日本語学習者は約800人います。
めちゃくちゃ多いじゃん!頑張らなきゃ!!と思っていたのですが、蓋を開けてみると、日本語の学習に意欲を持っている生徒はそこまで多くなかったです。
これには学校のシステムが関係しています。
インドネシアの高校では日本語授業を受けるかどうかを学校側が決めます。ぼくの派遣校は日本語や日本文化に対してとても親しみを持っていただいているので、全クラスに日本語授業があります。
つまり、たとえ日本語に興味がなくても授業を受けなければならないわけです。
もちろん、日本語に興味を持っていて、日本語能力試験を毎回受けている熱心な生徒もいますが、そうではない生徒がほとんどです。
日本語パートナーズのような日本人に対して興味を持っている生徒が多いので、「おはようございます!」と声をかけてくれたり、「こうへい先生!」と呼んでくれますが、先々まで日本語を学習しようという生徒は実は少ないです。
生徒たちが会える日本人は、イベントがない限りぼく1人だけで、ぼくを見て日本人の印象が決まってしまうので、プレッシャーはなかなか大きいです。
いかに興味を持ってもらうか。そして、日本人が帰った後まで興味を持ってもらうにはどうしたらいいか。
日本語パートナーズとして活動していくうちに、当初の目標から少しずつ変わってきているのを感じています。
ぼくにしかできない伝え方もあると思うので、周りとの比較はほどほどにしてやっていきます。
とにかく、世界中のどこにいても繋がれるようなものをこれから作っていきます!どれだけ時間がかかるかわからないけれど、本気でやります!
折り返し地点で見えたもの【日本語パートナーズ】
インドネシアに来てから約3ヶ月。
そして、日本に帰るまで約3ヶ月。
今日くらいがちょうど【日本語パートナーズ】としての折り返し地点です。
この3ヶ月間、はじめての土地と言語に苦戦しつつも、多くの仲間や現地の人たちに支えられて活動をしてきました。
1人ではここまで来れなかったし、ここに来るまでにみんなが自分に費やした時間は計り知れません。
人生は約30000日だ。
有名な人が言った言葉です。
80歳で死ぬとして、ぼくらには約30000日あります。
もうすぐ23歳を迎えるぼくはすでに8300日くらい生きています。
そうすると残りは2万と少し。
定年したらうまく挑戦できなくなるかもと考えるとまた8000日減ります。
つまり、ぼくが挑戦をしていられるのは多くても残り約12000日くらいです。
ほぼ3分の1しか残っていません。
しかもぼくの人生はぼくだけの時間が使われているわけでもありません。
支えてくれている両親や彼女や友達。彼らがぼくを支え応援するのに費やしてくれた時間は、ぼく1人の人生では全く足りないくらい膨大です。
特に両親に関しては、23年間お世話になり続けて、心配をかけ続けました。いまもとてつもなく心配してくれています。
自立したからにはやらなきゃいけないことあって、それは、両親に23年分の恩返しをこれからし続けることです。
父親は63歳で、30000日理論で行くと残りは8000日もありません。
つまり、ぼくにはそれだけの時間しか父親との時間がないのです。
いまのままの努力では全く足りない。1秒も無駄にしないように生きないといけない。
話を戻しますが、この3ヶ月間。出発前に思い描いていた活動はほとんど出来ていません。環境だけが変わって、それに甘えている日々だったと感じています。
残りの3ヶ月のタイミングで、このことに気づけたことはきっとなにかの知らせで、ここが自分が一番変わなければいけないのだと確信しました。
自分を全て捨てて、新しい自分を取りに行きます。
誰も想像していないところへ行かないと両親の前に立つことができません。
必ず行きます。これから帰任までの3ヶ月間で、爆発的に成長します。
胸の内を語りました。
読んでくれてありがとうございます。
頑張りましょう。
カフェから見えるいろんな事情【日本語パートナーズ】
Youtubeをやっているので動画を撮って投稿する作業が必要なのですが、ゲストハウスのWi-Fiだと2〜3日かかってしまうので、休日はもっぱらカフェ(主にスタバ)に篭っています。
栄えているところは本当に栄えていて、日本より綺麗なお店やショッピングモールはたくさんあります。
ぼくは一人で行動するのが苦手なので、一人カフェなるものは全然しなかったのですが、インドネシアでは基本的に一人で生活しているので、一人でカフェに行くのがかなり増えました。部屋に篭っていると電気代がおかしいことになるので。
ぼくがいつも行っているのはJ.COとスタバの2つです。
J.COっていうのは世界的なのかな?あまり詳しくないですけど、スラバヤにはたくさんあって、Wi-Fiがそこそこ強いです(これ大事!)。
そしてスタバなんですが、J.COくらいたくさんあります。勝手なイメージであまりないのかなと思っていたのでかなり嬉しい。値段は多少J.COより高いです。
値段もそこそこ近くてWi-Fiもあって落ち着いて過ごせる環境なのですが、お客さんに大きな違いがあるなぁと感じました。
簡単にいうと、スタバはインドネシア人ぽくないインドネシア人がかなり多いです。女性はムスリムかどうかは服装でわかるのですが、スタバでは、ヒジャヴ(頭にかぶっているもの)を着用している人をあまり見かけないです。
インドネシアにはビジネスのためにやってきた外国人がたくさん住んでいて、彼らはいわゆる富裕層と呼ばれる人たちです。私の家の近くではMie Ayam(ミーアヤム)と呼ばれるラーメンのようなものが約70円ほどで食べられます。それに比べるとスタバのようなカフェは数倍するので富裕層の外国人が集まるのかなと感じました。
行く場所やモールによって集まっている人たちの雰囲気が全く違うので、ショッピングモールのような大きなお店が集まっているところでは、あまりインドネシアを感じることがなく、まるで日本のように過ごすことができることもあります。
自分が日本に生まれたこと、そしてこのタイミングでインドネシアに来て、これらを感じている事は日本に帰ってから必ず何かに繋げられると思うし、これを他の人に共有することでインドネシアを含め他の国の事情についても関心を持ってもらえるのではないかなと思うので、これからも発信を続けたいと思います。
曖昧な内容になってしまいましたが、今日はこんな感じです。
頑張ります。
地域の歴史や文化の深さ【日本語パートナーズ】
地域のご飯で下痢をした後、大手チェーン店の食べ物で嘔吐をして何も信じられなくなったこうへいです。でも今日も食べています。大好きです。
さて、
先日、日曜日でお休みだったので、学校の先生と一緒にスラバヤの近くにあるモジョクルトへ行きました。
モジョクルトへ行くのは2回目でした。モジョクルトはインドネシアの中でも歴史や文化が深い地域のようで、いたるところに遺跡のようなところがあります。
スラバヤ(特に僕の住んでいるあたり)には、大きなモールやビルが多いので、モジョクルトのように歴史を感じる建造物や家屋を見るのは「本当に同じ国なのかな?」っていう違和感がありました。
そういった歴史的建造物もあったんですが、ぼくが一番感動したのはこの写真。
音もなくただただ流れていく時間がそこにはあって、久しぶりに自分の呼吸音を聴きました。
インドネシアはとても広い国で歴史も深いです。
地域によって雰囲気が全く違ってどこにいってもインドネシアとしてではなく、その地域として楽しむことができます。
地域の人たちは地元のことを愛していて、たくさんのものを守りながら生きています。
これはマランという町にあるKanpung Warna-Warni(カラフルな村)という場所の写真です。
この村は一昔前はスラム街のように廃れた村だったみたいで、今からは想像もつかないようなものだったそうです。
詳細は知らないのですが、今はカラフルに装飾して、マランの中でも有数の観光地になっています。
当然村人は住んでいて、観光客が訪れようといつも通りの生活を送っています。
文化、歴史、時代、、いろんなものが混ざってできているその空間はぼくにはどうとも表現出来ない感情を生み出しました。
きっとぼくにはまだまだ足りないものがあるんだと思います。
次来た時にはもっと色々なものを感じられるように、もっと勉強します。
日本に帰ったら全国の色々なところをまわりたいなぁ。
今なら当たり前に見えるメガネを外した状態で日本を見ることができそうな気がします。
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インドネシアに行きます。【日本語パートナーズ】